富士フイルムは企業内容をドラスチックに転換した企業として有名です。
なぜ、転換できたのか、現実を見るという視点から、その要因を考えてみましょう。
その昔、富士フイルムは国内写真フイルム市場で7割のシェアを占め、高収益、好財務体質の会社でした。
当時の常識では、フイルムのない写真などは想像することはできず、そして、写真そのものがなくなることはないのだから、写真フイルムの需要は半永久的に続くと考えられていました。
その結果、技術的にも営業的にも写真フイルムに圧倒的優位性を保有する富士フイルムは安泰な会社だと、思われていました。
ところが、デジタル技術の進化のスピードは想定をはるかに超えます。
あっという間にフイルムのいらない写真が世の中に普及し始めます。
フイルムどころかカメラまで不要な時代が到来しました。
これまで写真フイルムへの依存度も高かっただけに富士フイルムの将来には一転不安が漂いはじめます。
当時の古森社長はそのとき、「トヨタから車が、新日鉄から鉄がもしなくなったら…」と言って社内で危機意識を共有したそうです。
これは決してオーバーな表現ではなく、その市場シェアから考えれば、「富士フイルムから写真フイルムがなくなる」のは、もっと強烈なインパクトを持っていたに違いありません。
富士フイルムはこの苦境からどのように脱したのか。
富士フイルムの成功の出発点は、「現実を直視する」ことができたからだと思います。
ローマの英雄カエサルの有名な言葉に、「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。
多くの人は見たいと欲する現実しか見ていない。」というものがあります。
現実は平板な一面ではなく色々な要素を併せ持っています。
凡庸な経営者は自社が所有する経営資源にとって有利な現実を選び出してしまいます。
富士フイルムの場合では、将来の写真フイルム市場を正確に予測することがカギになります。
富士フイルムは写真フイルムに抜群の強みを持つだけに、デジタル化の進展はできるだけ遅くなるのが望ましいと考えます。
そうした思いが予測にも反映されてしまいがちです。
「デジタル写真が銀塩写真に匹敵するまでには相当時間がかかるだろう」といった希望的観測が、社内で幅を利かせてもおかしくはありませんでした。
ところが、富士フイルムの将来を予想した社員は社内でどんなに嫌がられても、絶望的な需要予測を経営層に報告し続け、経営者もそれを受け入れました。
それが早めの打開策の展開へとつながります。
富士フイルムは見たいと欲する現実ではなく、自分に不利な状況でも「あるがままの現実」を見ていたのです。
それに対し、同様に写真フイルムで圧倒的な優位を持っていたアメリカのコダックは2012年1月に破綻しました。
コダックは「あるがままの現実」ではなく、「見たい現実を見ていた」のかもしれません。
現実を直視することは決して簡単ではありません。
経営者は虚心坦懐に現実を見なければなりません。
(記事提供者:(株)税務研究会 税研情報センター)
記事提供:ゆりかご倶楽部
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