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 たかが骨折、されど骨折がこれほどつらく苦しく、生活が不便とは。
骨折関係のホームページを見て、とても勉強になったので、なにかの参考にと記録を残しました。
現在ケガしているかたの参考になれば幸いです。

日記はかなり昔に5年ほど書いたことがあり、骨折日記を契機にこれからも書こうかとも思いますが、まず続かないでしょう。

傷の痛みや手術後のいたみより、ギブスと腫れた足との圧迫の痛みと右足のふとももや足の付根のいたみによる睡眠の妨害と不便さにはほとほとまいりました。

 捻挫は何回かやっていますが、一番ひどかったのは、27歳ころに確か水道橋駅の乗り換えに急ぎ、階段を飛び降り、痛さをこらえ電車の乗り、うずくまって、家まで歩いて帰り、その後、足が腫れあがり、完全に治るのに3ケ月ほどかかったのを覚えています。
今では右足だったか左足だったかも忘れてしまいましたが。

ケガといえば9才の時、4人乗りブランコに足をかけ友達とこぎあい、上のひっかけているツメ部分で右手親指をエグリ、13針を縫って、親指がまがらないかもしれないと言われたのを想い出します。
日常的には小学校6年の時には鉄棒で大車輪ができたくらいですから不便なく動き、内側に神経線みたいものが皮膚の表面にあり、少し左指より短いていどで気にはなりません。
いつまで骨折日記を書けるかわかりませんが(きっと痛い間は書くでしょうが)、私(川島)の場合の療養日記です。
1日でも早く治ってほしい。
その一  2003年1月7日(手術)〜2003年3月25日 手術後11週間までの記録です。
2002.12.29 多摩川土手にて滑り右足首を骨折  午前中、親戚の餅つきへいく。はじめて餅をつく。結構大変である。
昨日、子供たちにリールつき釣竿を買ってあげたので、午後、子供三人と犬のさくらをつれて車で多摩川へ釣りに出かける。

八高線と拝島橋(国道16号)の調度まんなかくらいだろうが、あとでわかったことだが、ラジコンの飛行場のあるところ。

土手をくだっていくが階段もなく、大きな石があちこち見えていて、ジャリもあり滑りそうだな転んだらあぶないなと用心して、みんな滑るから気をつけろよと言った矢先にどう滑ったのか右、左とギクガクとやってしまった。

右足の右部分をすべり立ちなおすために逆にしてまた左側ですべり体重がのったようだ。
折れた音はしなっかたが、激痛が走り、土手のがけの途中で座りこむ。

捻挫したなと思い足を見る。足が変な方向を向いている。折れているかもしれない。

子供たちが大丈夫?という。私は大丈夫でないという。
その場で携帯電話より119番へ電話する。場所を教えるのに時間がかかった。

女房に電話する。35分くらいで、救急車が来てくれた。場所が多摩川土手のせいだろうが5、6人も来てくれました。同時に女房は、自宅より3〜4キロ走ってきてくれた。

救急病院へ行く。携帯はこんな非常な場合便利と思った。
外科の先生がいてレントゲンを撮る。右足首左右2ヶ所折れているとのこと。

仮ギブスをして、整形外科の先生の診療は1/4ですので、1/4にきてくださいとのこと。この日から辛い日々が始まった。

今後どんな経過でどのくらいで治りますかと聞くと、普通は手術をして手術後1週間入院、1ケ月で完治とのこと。2月の初旬で歩けると思ってしまった。

ビニール袋に冷蔵庫の氷をいれ、1日中冷やす。冷たいための痛みか傷の痛みかわからない。

立川税理士会の事業部、情報システム委員会や昭島異業種交流会(略称AIK)その他のMLにメールを流す。

2/8にルミネ立川店にて税理士記念日事業の責任者になっている。
2/14、15日にたま工業交流展にAIKが出るや異業種交流講演会を開催しなければならない。どれも準備できそうにない。
2002.12.31 円座を買う パソコンの前にイス2台置き、足をのっけて態勢くるしく操作しているためお尻が痛くてしょうがないので、丸く穴のあいているクッションを買ってきてもらう。
お尻の痛みはこれで解決した。

退院してからのち足の下に置き、眠ることになるのですが。これは便利。
2003.01.04 病院へ行く。入院。 この日の朝までの足の痛みは冷やしつづけ、12/29に借りた松葉杖でトイレにもなんとか行け、パソコンも少し体制はきついができた。
ただ、石膏と骨とのぶつかりあいの痛みとの戦いであった。

レントゲン、CTスキャンをとり、後ろ側にもう1ケ所折れているのが見つかった。

足首は硬直して、先生が動かしても動かず、痛みもあまり感じないほど、立てばあるけるかもと思った。

仮ギブスをはずす。左内側に10円玉ほどの血豆が、ギブスとの接触でできたもの、痛いわけである。

水をぬらしながらプラスチック製の包帯をまいていく、しばらくすると硬くなり、これがギブスとなる。

「足の指を動かしてください」そうすると腫れがひくとのこと。
冷却器具によるビニール20から30cmほどを足にかぶせて冷やす。
こんなんで冷やせるのかなと思ったが、退院するまでこれには大変やっかいになった。

なんで12/29入院させなかったかと先生は言う。でも私は家にいてよかった。
病院は息がつまるし、年末年始入院生活はかなわない。1/7手術するとのこと。骨折っただけなのになんで手術とは。とほほ・・
さっそく、足指動かしの開始、はれがひかないと手術の日が延期になるとのこと。
血液検査、心電図、肺のレントゲンとか、手術前の検査が行われる。
アルコール系の消毒は赤く反応してしまう。

病室は6人部屋で、右手親指を切断し、縫合手術をした方が一人いました。指は痛そうである。親指から棒が出ている。
2003.01.05
昨夜はあたらしいギブスとの戦いで寝苦しく、布団もかけず、毛布だけで眠る。退院の3日前までずっと毛布だけで眠る。
よく風邪をひかなかったか不思議なくらいである。
これより毎日朝晩の体温の測定と血圧測定である。
2003.01.06 手術内容の説明を聞く 先生より手術の内容の説明をきく。右側はパネルをいれ固定する。左がわはワイヤーをいれ固定するとのこと。

摘出は半年から1年とのこと。チタン合金をみせられる。靱帯は溶ける糸を使用し、外側の皮膚はホチキスにて止めるとのこと。
ホチキスのほうが、手術あとがきれいだからとくわしく説明を受ける。

看護婦さんが右足の毛を剃る。
誰にも骨折のことは知らせていなかったが、友人(顧問先でもある)が事務所により、帰りによってくれた。

事務所の小川さんも中島(甥)より聞いてお見舞いに来てくれた。
これから事務所のみんなにも当分迷惑をかけることになるだろう。
2003.01.07 午後4時30分手術。2時間半くらい手術室 半身麻酔にて背骨(骨髄か?)に注射を打たれる。
麻酔を打たれ下半身に麻痺がはじまる。手術が始まる。足首の右側からはじまる。

チタンパネルを入れ折れた箇所をつなぎボルトでとめる。

麻酔の担当の先生が痛いですかと聞かれ、すこし痛いという。麻酔の量を増加したのだろうか胸ちかくまで麻痺してきた。

左側のほうがはじまる。また痛いですかで今度は首あたりまで麻痺してきた。

横にワイヤをとおし、上にネジをいれ、ワイヤーをひっかけ位置を固定させる。(手術内容は見えず、推定である)

頭がもうろうとしている。手術が終わり、手術台に一人、どれほどいただろう。
手術室をでるとき、先生がレントゲン写真を見せてくれたのがかすかに、そして妻の顔が見えたのを覚えている。どうやらその後寝てしまった。

夜中に眼がさめ、おしりの右側とふとももにまだ麻痺が残っている。
四角い氷のかたまりが3つほどのっている。重たい。例の冷却器具を看護婦さんにもってきてもらう。

痛くて眠れず、夜中に坐薬をいれてもらうが効かない。坐薬ははじめてである。
2003.01.08 手術翌日
朝目覚め、おしっこはと思ったら、どうやら管があそこにあった。
わずらわしいので自分で抜こうと思ったがせず、あとで聞いたら、とんでもない自分で抜いたらケガをするとのこと。

先生が2個骨のかけらがあったとのこと。石膏との戦いでかけたのかも・・。

リハビリ開始、かたい足の指を手で手前に動かしはじめる。
2時間くらいして、ビリビリの痛みがかけめぐる。神経を刺激してしまったようである。

妻が病院に午後来て、はずかしいかな、手を握ってもらって耐える。坐薬をいれる。これほどの痛みはかつてないほど2時間くらいつづく。

ビリビリ・バリバリとまるで足首で電気花火をやっているようだ。
看護婦さんからは手術の翌日にリハビリ開始なんてするからと言われる。

尿瓶を妻にもってきてもらって今日からおく。夜中にトイレに行かなくてよくなった。これは助かった。
夜眠れず、松葉杖でトイレに行くのがしんどいのである。

同室にいた方が今日退院した。この日より私が退院するまで6人部屋で1人だった。
2003.01.09 ギブスの左右の傷口のところを切り取る。消毒 小型の回転のこぎりでギブスの傷口部分を切り取る。
足が切れるのではと怖い。ギブスの下には綿入りの靴下のようなものがあり大丈夫とのことだが、足が切れるのではと怖くて緊張する。

ガァーと回転ノコが回る。左側が見える。黒ずんだ手術あとにホチキスが10個くらいバチンととまっている。
これは私の足だろうか。右側はよく見えない。
先生が消毒する。なんと痛いこと。ギブスのあいた窓に切ったふたをする。

顧問先のM氏がお見舞いにきてくれる。本来なら今日お伺いする予定であった。
2003.01.10
メールでは、カッコわるいのでお見舞いには来ないようにといくつかのMLには連絡してあったが、立川税理士会の情報システム委員会の委員長のO氏がお見舞いに来てくれました。
2003.01.11 消毒 1/11に退院を申し込んでいたが、1/14でないとダメといわれる。

確かに腫れている。冷やしながら足の指をひんぱんに動かし、腫れをひくのを待つ。

手術前だったか、左うでに点滴用の器具をつけ、今日まで、昼間は点滴をしていた。
その器具は今日はずされた。

再度看護婦さんを通じて先生に退院をお願いしたが、まだ腫れているので連休あけの14日までやはりダメとのこと、
看護婦さんにがまんしてね言われる。

腫れがひくように足の指をまた動かし続ける。
姉がお見舞いにみえる。
2003.01.13
1//12に千葉さん、白井さんがお見舞いにみえた。今日は佐藤宏さんがみえる。知らないうちにだんだんと骨折の情報が広まっている。
2003.01.14
(手術後1週間経過)
午後退院。ビーズのクッションを買う。 12日以後は毎日2回20〜30分の点滴を行う。

先生の回診、手術の傷口をみて、消毒する。今日の午後か明日にでも退院してもいいよとのこと。
すぐ、はい、今日退院しますと言う。
看護婦さん曰く普通は入院は4週間から6週間というのを無理やり退院した。

ひさびさの我が家である。タバコも吸える。実は入院中こっそり吸っていたのであるが、見つかってしまった。真剣におこられる。火事になったらどうするの。

夕飯はお刺身のなんとおいしいこと。
女房に散髪してもらって、頭を3回洗ってもらう。生き返ったように気持ちがいい。だいぶのびたヒゲはそのままにしようかとも思ったが、剃る。
2003.01.17 病院へ行く。抜糸できなかった。消毒。 手術の傷口を消毒する。経過良好とのこと。前回今日抜糸とのことだったが、21日に延ばされる。
2003.01.18 ベッドを買う 女房がベッドを買ってくれた。
ケガした日より2階のベッドでは寝れないので、1階で布団で寝ていたので起きる夜中のトイレが楽なようにとベッドを女房が買ってくれた。上部が上がるタイプである。

かなりあげると足の痛みがとれるので、眠れないときには、ななめに座った状態で寝る日がその後多くなった。
2003.01.21
(手術後2週間経過)
病院に行く。抜糸、レントゲンを撮る。 ホチキスで止めてあるのをとる。くるぶしあたりはとるとき非常に痛かった。
先生より川島さんはいたがりだからと言われる。いたがり屋とは弱虫ということですね。言う。確かにそのとおり。

毎日、現在過去を否定している自分がいる。
ふともも等がいたいので湿布薬と痛み止め薬もらう。

毎晩、らせん状のものに足がはさまって、抜こうとしている夢をみる。ギブスがあってはいらないのになぜだ。という夢をみる。
2003.01.28
(手術後3週間経過)
病院に行く。レントゲンを撮る。 この1ケ月に夜寝て朝まで起きずに眠れたのが2日くらいである。
痛みと棒状の足状態は上ももの筋肉、ひざ周りの筋肉のだるさとつっぱりは眠りを妨げる。

左右と甲のビリビリという電気的痛みとギブスとの圧迫との痛みは続いている。

冷蔵庫の氷であいかわらず冷やしている。
改めてレントゲンをまじまじ見る。ネジが骨の2/3も食い込んでいる。こりゃ痛いはず。
2003.01.31 足枕を買う。 毎日のように、夜寝る時の足の位置を変える。座布団を2枚にしたり、布団の下にクッションを入れたり、円座をおいたり、少しでも痛くないように、起きている間は動かせるので、位置調整ができるが、寝るときにはそうもいかず、足の甲の根本あたりがギブスと寝る姿勢だとあたり、痛くて眠れない日々が続いていたので、女房が買ってくれた。

さっそく、今晩より使う。かなり足が上にあがり、最初はあんばいがよかったのですが、やはり眠れず、痛くなってきたので夜中にとうとうはずしてしまった。
退院当初から使っていればよかったかもしれない。
せっかく、買ってくれた女房にはすまないと思う。
2003.02.02
いとこの川島和義氏とお内儀の芳子さんがお見舞いにみえる。
これまでに叔母さんやいとこの田代昌子さん他何人かの方がお見舞いにみえた。

お見舞いだかなんだかわからないのもあり、対応に大変なときはありがたいやらカッコ悪いやらと正直さまざまである。
2003.02.04
(手術後4週間経過)
通院、ギブスをはずす
レントゲン写真をもらう
昨夜は朝の5時30分まで眠れず、朝より頭痛が今もする。

今日は手術後4週目である。
ギブスを小型電気ノコで残った部分を完全に切る。
裸足にてレントゲンを撮る。先生は順調ですという。(本人は見てもどこが順調だかわからない。)

あらわになった足首を見ると足首より下はまだ黒ずんでいて腫れているのかむくんでいるのか。
自分の足とは思えない。

ふくらはぎとふとももはずいぶんと細くなっている。
前後に動かしてくださいとのこと。はじめピクリともしない。
足指を動かしていたためかほんの少しだけ動いた。
これは大変だあ。
先生が足首を動かすものと痛さを覚悟していたが、毎日、自分で前後に動かしてくださいとのこと。

1日どのくらい動かしたらいいのですかと聞く。1日3回100回くらいとのこと。

切ったギブスの後ろ半分の部分が狭く、新たに後ろ半分ギブス(5号?)にて包帯にて巻かれる。

今日よりお風呂にはいってよしとのこと。右足も入れてよしとのこと。(えっ、傷口入れていいの。恐ろし。怖い。)

お風呂の中にて、足首の前後運動をしてくださいとのこと。
足裏から押し曲げてくださいとも。
6週間目になると動かなくなると言われる。

かかとは座って伸ばしてついてもいいが、体重は絶対にのせないこと、ボルトが壊れて大変になるとオドロカされる。
いったいいつになれば歩けるやら。

昨夜も、妻が、私のせいで、眠れなかったので、妻が安定剤をくださいと先生にいう。
先生はダメですという。
妻は主人が眠れないと私が眠れないんですという。
じゃ出しましょうと先生が言う。半分に切った安定剤である。
妻もほとほと疲れているのである。

母が週3回の透析をしており、かろうじて歩ける状態なので、少し痴呆もあり、母のめんどうと私のめんどうと両方なのでかなり疲れているのである。

1/14のホチキスのあるのと、今日のレントゲン写真のコピーをいただく。

まざまざと近くでみる。
なんとも無惨である。左側パネルにネジが5本、右側は大きなネジが埋め込まれ、ワイヤーが骨の中を通っているのだろううか、くるぶしにワイヤーがはいっていてひっかけてあり、8の字で上のネジでつっている。

川島さんはサイボーグだねと立川税理士会の副支部長のT氏はメールで言っていたが、金具の取り出しの手術のことを考えると気がめいる。

2時ごろ、立川税理士会の事業部の部長のK氏がお見舞いにみえる。昨日メールにてお見舞いをお断りしたのだが。
事業部のみなさんのこころづくしのお見舞いをいただく。一番大切な時期に動けず、申し訳なく恐縮する。

夕方、顧問先の紹介でお客さんが購入した不動産のことについて、相談にみえた。
2003.02.05 四十肩とヘルニアを思い出す こころなしか、足首がほんのすこし動く範囲がふえた。自分でやっているので、かなり力をいれて動かそうとしているがガンとして曲がらず、痛みもない。
これは私の足首だろうか。ウエットティシュで右足首をふく。

以前五十肩・四十肩を左右ともやり、右肩が上にあがるまで1年半、治ったと思ったら今度は左肩で約1年かかった。

この四十肩の初期の痛みはとても痛い。
ある日ギクとやる。なんか肩がだるい。揉む。
腕が重たくますますだるくなる。
そしていつのまにか腕があがらなくなり、瞬間的に腕を動かしたときに痛みは強烈である。

背広を着るとき大変だった。
特に右肩の痛みとリハビリの痛さ(あまりに痛く腕が動かせなくなり病院へ通う1月ほどで通うのをやめる)と今回の足首のリハビリの痛さとこれからどっちが痛いのだろうか。

肩の治療は電気治療とひもをつった器具で痛さをこらえて手をあげる方法である。
左肩は要領がわかっていたので、病院へはいかずに治した(左肩のほうがかるかった)。
でも100%完全には今も治っていない。

リハビリは四十肩の経験で自分しだいと思っている。
腕が上にあがるよう痛みをこらえ、1mmずつ上にあげていく。

少しよくなってからは部屋のさんに手をかけ伸ばしていき体重を少しずつかけていくやり方をした。
お風呂のなかで、腕をうしろにやりもう一方の手で上にあげていく。

布団のなかで腕をゆっくりと力をこめて円を書くようにまわしていく。これをずっと続けていく。いたいからといってやらないと固まってそれ以上動かなくなる。
これも根気がいる。激痛がなくなっても、痛だるく、リハビリの鈍痛、もちろん寝返りもできない。

ついでに腰の痛み、ヘルニアである。
若いころ重い力仕事を体制の悪いカッコでやっていたため、腰をかなり痛めた。
座った姿勢から立つときの痛みはやはりとても痛かったのを覚えている。
重労働が続き、背筋がつき、ついでに腕や足にも筋肉がつき、いつしか痛みはなくなっていた。

またベッドから急に飛び起きてギクッとやって立てなくなったこともある。

もう4〜5年前だったか、足を組んで座っている(あぐらのカッコウ)とお尻がいたくてしようがなくなり、そのうち普通に座っていてもいたく、車の運転をしていても痛くなってしまったので、とうとう町の整形外科に行く。

そこから大きな病院を紹介され、CTスキャンにてヘルニアですとのこと、なんでヘルニアでお尻がいたいんですかと聞いたら、つながっているからということ。
ヘルニアが原因とのことで、2回ほど整形外科にいき、器具に寝て全身を引っ張る、ヘルニアにはなっているのではないかと思っていたので原因がわかったのでその後行かなくなった。

ヘルニアは治らないので、背筋を鍛えるしかない。
いまでも長く座っているとお尻はすこし痛いときがある。
2003.02.06 お風呂にはいる 昨夜、初めて安定剤を飲んで寝る。
朝方4時30分頃トイレに起きる。その後1時間おきで眼がさめる。

右足の左右の付根部分がまた痛いのである。
また首が痛く左右に思うように曲がらなくなってきた。
眠れないのでベッド上部を立てていたせいであろう。
朝起きて足の付根部分と首に湿布薬をはる。

ギブスをしているときは石膏とぶつかり痛いと思っていたところがむくみと腫れで指でちょっとふれてもビリッと痛いので、包帯がふれてもビリッとくるのがよくわかった。

これは腫れやむくみがとれないかぎり続くのであろう。
包帯とギブスをとったときはいたくないのである。
足首の前後運動をキチンとやらねば、つまり動くようにならないと痛みはおさまらないのであろう。
ギブスと包帯をしてるときも足指を盛んに動かす。

骨折後初めてお風呂にはいる。
イスに座りつま先に少しずつお湯をかけ、甲へ、手術あとへとかけていく。なんともない。
シャワーを体にかけていく。気持ちがいい。
もちろん女房殿に手伝ってもらってのこと。
背中を洗ってもらう。前面はもちろん自分で右足の傷口と甲とくるぶしまわりはさすがかるくお湯をながすていどしか洗えない。

湯船のへりにお尻をつき、左足からお尻とはいっていく。もちろん右足は最後で足首をいれるなんともない。右足を手でおさえなくても足が浮く。ラクチン。
しばらくつかりながら足首を前後に動かす。痛みはないが動かない。というより固まって動かないのである。久しぶりのお風呂は気持ちいい。
四十肩のとき、腕をうしろに痛いのをがまんして上げたことを思い出す。

足のうらを軽くなぞるだけで垢がぽろぽろでる。
お風呂からでたあとも足首の前後運動をしばらくする。すこしやりすぎたようだ。
足がだるくなってきた。またギブスをつける。
右側が縫い目の真ん中にあたるのが気になる。
ギブスをとったときにむくんでいるのであとがつく。
右側はパネルがはいっているのでその分だけ膨らんでいる。
2003.02.07
昨夜も安定剤を飲む。まったく効かなかった。

前後運動はどうも進展がなく動く範囲が広がらない。

夕飯のときPCよりイスをテーブルのほうへもっていくときにじゅうたんにひっかかり、転ぶ。おしりより落ち打つ。足は無事。お尻痛かった。
私もヒヤヒヤ、女房もひやひや、子供も・・・
2003.02.10
(手術後5週間経過)
病院に行く

(ある骨折院のHPに応急処置時は、冷却は20〜30分、1〜2時間おきにやるとあった。周りの組織を定温に保ち、2次的損傷を防ぐとのこと。私は1週間昼も夜も冷やしっぱなしにした。)

圧迫も強すぎると痛覚神経を圧迫し痛みがより強くなるらしい。手術の翌日の足指を動かして痛くなったのはこのためか。
圧迫は今でもあり、ほどほどのギブスや包帯の巻きの強さは微妙のようである。

応急処置は
・安静にする
・冷却(冷やしすぎに注意)
・強すぎないように伸縮性のある包帯をまく
・心臓より高い位置に上げる

昨夜はお風呂に入った。
午後4時に病院へ行く。

去年、私と同じころに階段から落ちて左手首を骨折、同じ1/7に手術した知人の奥さんが今日もご夫婦できていた。
最近の手首の骨折は切開手術をしないで棒状のもの?で抑えているのか?引っ張っているのか。まだ1本包帯がでっぱっている。
指も半分くらいしかまだ動いていない。リハビリの先生に動かされているとのこと。1日おきにきているらしい。

私のほうはいつものようにレントゲンをとり、どのくらい曲がるようになりましたかと先生に聞かれ、10度くらいとこたえ、先生が前後の角度を測っていた。

入院してたら、リハビリの先生がゴリゴリと動かすとのこと。
自分で動かしているので、金具がとれたらどうしようとか骨が折れたらどうしようとか、筋が痛くなると曲げるのをやめてしまい、筋がちがえるのではと、怖くて力を思い切りいれることができない。

そのことを先生に言うと大丈夫思い切りやってください。 手拭いで足にひっかけてひっぱるのもいいとのこと。
筋が痛くなるのは当たり前、腫れますのでシップを貼ってくださいとシップをくれる。

家に帰って、足をずっとさげっぱなしのためか、夜前後運動のとき包帯をといたらかなり腫れてしまっていた。

私としては、前後運動を力をいれてやるとあとが続かないので、軽く前後運動をひんぱんにやり、ときおり力をいれてやるほうが気が楽である。
30分ほどやったらいくぶん腫れがひいた気もするが、親指の下の骨か筋かが痛くなった。
どうも私の場合は自分だけで今後もリハビリなのだろうか。リハビリの治療はないのだろうか?

今後の経過を聞く。歩けるようになるのは、手術後12週間とのこと。3月一杯はかかるではないか。あァ・・・
2003.02.12
11日、12日とお風呂に入る。
前後運動をしているがその後の伸展がないのであせる。
暖めてやったほうがいいとのことなのでできるだけお風呂にはいるようにする。

ほんの少しだけ角度が広がったような気がする。
夜はあいかわらず寝付かれない。
以前に比べれば痛みも圧迫もやわらいでいるのに。
寝付かれないので横向きに少し寝てしまった。
2003.02.14 シップを足の甲の部分に貼る。
よいみたいである。
2/15にシップを細かく切ってむくんでいるあちこちに貼ってねたが
冷たく寒くて逆効果だった。
昨日は夜お風呂にはいったあとでしか足首の前後運動をしなかった。
1日中ギブスしていたので、腫れてしまったが、お風呂にはいってしまった。
案の定、夜はまたはれて寝付くことができなかった。

石膏との圧迫と痛覚神経?により、足首のケイレンが断続的に起こる。変わりばえのない日記を書くのも疲れてきた。

改めてこれほど大変とは思わなかった。
病気やケガが長く続くと心まで病んでくるのがよくわかる。
妻は母と私の両方のめんどうをみているのでそうとう疲れている。

8日からだったろうか2階の部屋で、一人で寝ている。階段を松葉杖でのぼりおりができるようになった。少し怖いがコツがわかってきた。
昨日今日と事務所の決算作成をPCにてしている。どうしても集中して行うので、足首にも負担をかけてしまうようだ。

会計事務所の所長がこのような骨折日記を書いているのは珍しいだろうが、ただの凡人である。

骨折日記とは別に今、アクセスアップのページを今日より作成しているが、どうも日記風になってしまう。
2003.02.18
(手術後6週間経過)
通院 2、3日前から、横向きに少し寝てている。
ひざの間にビーズのクッションをはさみ、もちろん左向きである。
左足の裏にギブスをのっけて寝る。
足の付根が痛くならず、このほうがまだすこし楽で寝られる。
お風呂は毎日はいって、前後運動をしている。

今日はレントゲンを撮らなかった。
半ギブスがとれるかと思っていたが、来週とのこと。
松葉杖をついてギブスの下をつけてくださいとのこと。
どの程度体重をかければいいのだろうか。

イスに座っているときに足をつけてもいいということだろうか。
加減がわからない。でも今軽くつけてしまっている。
足がしびれている。先生に横に寝てもいいですかと聞くといいですよとのこと。

来週よりつま先の上部半分に圧をかけるようだ。つま先をつけて歩く練習なのでしょう。

ふくらはぎ、太ももとも筋肉はすっかり落ちている。
足を下げている血のめぐりが悪いためだろうか、しびれがおこりやむくみがますようだ。

骨はもうくっついているのだから、徐々に筋肉やじん帯を回復させてならさせていくのだろう。

今日、半ギブスがとれたら事務所に行こうと思っていたが、どうしようか。仕事が気になる。

2階に事務所があり、階段しかない。自宅でPCにて多少は仕事はできるが、お客さんのところへは一人ではいけない。
事務所自身の決算もまだ終わっていないので完全には事務所にてやらねばならない。

2/19に立川税理士会にて所得税確定申告の小規模事業者に対する相談業務の担当になっていたが、事務所の小川氏に変わってもらう。

本来なら、事業部長と各市役所等への相談会場へ回らなければならないのだろうが、それもできない。
2003.02.22 仕事に行く 午前中、妻に送ってもらって、お客さんの所にいく。
1月決算なので、概要を説明する。
1時間半くらいであるが、半ギブス足を下にさげっぱなしは少ししんどかった。

午後、事務所に行く。こちらも決算で売掛残を帳簿と売上台帳とのあわせを行う。
入力数を減らすため簡便にて行っているため違っている箇所をさがすのが大変。夜9時に終了して迎えにきてもらう。

半ギブスをはずすと、おお・・、腫れあがっていること。
足をさげているとこうもはれるものか。
甲の部分と足首周りがとくにはれていた。
痛みよりもしびれという感じ。

それでもお風呂にはいり、少し腫れはひいたが、足首の前後運動は力をいれてやるには、にぶい痛みがある。ほどほど行う。
就寝してからは足首が収縮を繰り返してまるで踊っているようだった。

1週間前からだったろうか、夜寝れないので、徳川家康(山岡荘八著)を読み出す。
なにせ26巻で1巻が500ページ前後あるので、これを読み終わるころには普通に歩けるようになっているでしょう。
この本は3度目の読み返しだが、1度は半月で読んでしまったが、今回は2月はかかるだろう。それくらいのがまんと思っている。
2003.02.25
(手術後7週間経過)
通院(半ギブスをはずす)
体重の1/3(20キロ)の圧をかけ松葉杖にて歩き開始
本日ギブスから開放される。

足首の前後の角度はあまり変わらないが、先生が角度を測って少しずつだが前回より広がっているとのこと。

足にゴム状の太いサポートテープを巻き、体重の1/3(20キロ)の加重をかけて歩行してくださいとのこと。

診察のあと、リハビリの先生より指導を受ける。
体重計に右足をのせて踏み込んでいく。
こわごわ力をいれていく。
5キロ、10キロと20キロはかなりの力がいる。
運動靴かサンダルで松葉杖にての歩行時に右足を20キロくらいの圧をかけるようだ。

午後、運動靴とサンダルを買いにいく。
運動靴でなかなか足がはいるのがない。やっとはいるのがあった。そのままはいてかえる。足をついて歩く具合がよくわからない。5キロくらいの圧しかかけられない。

サポータを夕方はずす。案の定、くっきりあとがついてぱんぱんにはれあがっていた。これは先が思いやられる。
夜寝るときははずしていいのか聞くのを忘れた。
2003.02.26 歩く・・歩く・・腫れた 昨日よりギブスなしで寝た。
今日より事務所に出社、事務所がリハビリの場所となる。

右足をついて歩く。加圧は5Kくらいしか怖くてできないみたい。

腫れる。腫れた。痛い。前後に動かない。くるぶしのところが痛い。

ひざをまげてみたら、完全に曲がらない。
ひざの内側の関節が痛い。なぜだ?ギブスをしていたため曲げられなかったためにひざの関節が固まったようだ。
こちらもリハビリしなければならない。
おお・・きつい。足首も腫れあがり、急に靴をはいて歩いたため、くるぶしが痛い。

すっかり肉のこけたふくらはぎが左足と同じ太さになったこんなに急に筋肉がついたようにみえる。
いやこれははれたため、ひざより下が全体的にはれているのだ。
おお・・ 今夜は無事寝れるのでしょうか?
2003.03.04
(手術後8週間経過)
通院
体重の1/2(30キロ)の圧にて松葉杖にて歩き開始
レントゲンをとり、今日より30キロの圧をかけるとのこと。

足首の手前へはほんの少し角度が開き、向こうへは変わらないとのこと。通院のごと足首の開きの角度を測っている。

リハビリの先生のところで体重計を30キロさすまで踏む。
かなりの力がいる。松葉杖を軽くつく程度とのこと。
立って二つの足に均等に体重をかけて30キロである。

経皮鎮痛消炎剤 ボルタレンゲル(炎症やはれ、筋肉や関節の痛みを軽くする)25gと湿布をもらう。
年単位でこのはれとむくみは続くとのこと。

昨日までの1週間はとても20キロの圧はかけて歩けなかった。
せいぜい10キロの圧がやっとである。1日30分から1時間弱くらい1日3〜4回歩いた。夜、体重計を20回ほど毎日踏む。

歩くとはれ、夕方になるとふともももパンパンにはれ、足の甲もはれる。
いたいのをがまんして足首の前後をすると甲のはれが少しひく。
30キロの圧をかけてよしで20キロくらいかけられるでしょうと先生に言う。

女房殿曰く、左に体が曲がっているとのこと。
やはり怖くて右側に体重をかけれない。
無意識にそうなっているので、意図的に右側に体重をかけねば。

右の足のつけねや右ひざがきしむように痛くなっている。
左足のひざも負担がかかりいたくなっている。

1週間前くらいからだろうか夜中に眼がさめなくなり寝れるようになった。
2003.03.06 30キロ圧にはほど遠い。15キロがやっと。
昨日はかなりはれ痛く、あまりできなかった。

4日に東京都商工会連合会の倒産防止特別事業の商工調停士・専門スタッフの勉強会と意見交換のため立川へ行く。
もちろん、妻殿に送ってもらって終わるまで待ってもらった。

専門スタッフとは名ばかりで3年やっているが一度も相談もなし。法律相談は弁護士、経営相談は職員の相談員・中小企業診断士が行っているようだ。
帳簿がらみの診断はないのであろう。倒産防止のための事業ではあるが、倒産寸前か倒産後でないと相談にこないのであろう。
おのずと相談の内容に推定がつく。
宣伝もたりなかったとのことで、商工会会員に15年度はパンフを配るとのこと。
商工会にこういった件の相談が日常的にはいらないと相談員の力が向上しないし、勉強もしないであろう。

会社が倒産するか維持できるかは経営者の責任である。
経営者がもっと勉強しなければならないのはもちろんのことであるが、それを助ける人々も勉強しなければならない。

残念だったのは商工調停士のほか専門スタッフ6人中来たのが、私一人のようである。
無理もない。3年やってて1度もスタッフの仕事の依頼がないからであろうか。
ところで、この倒産防止特別事業の弊社HPへの記載およびリンクの承諾を受ける。
探したが、他の商工会関係のHPには記事があるのに、東京都商工会連合会のHPには探せど記事がみたらない。

4日の夜から5日、6日とプロバイダーのマイテレビの故障でメール及びm-net系のHPがまったくみれない状態になっている。
迷惑このうえない。
昭島市、立川市のHPはマイテレビである。もちろんみれない。

以前にも、1日近く同様なことがおこり、マイテレビにクレームした。1日つながらない場合は料金を減額するが、そうでない場合は減額しないとのこと。

株主である多摩中央信用金庫、立川市、西武新聞社に厳重注意をしてくれといったが、我々も困っているとのことで逃げられた経験がある。
このあたりの地域ではケーブルはここだけなので、殿様商売をしている。
インターネットの世界では、いずれにせよ、ケーブルは消滅すると思われるが。ほんと困ったものである。

おっと、骨折り日記からはずれてしまった。
昨日今日とはれはすごい。
本日は膝と足の付根と前ふとももがガクガクである。
足首もビリビリといたい。とても30キロの圧など怖くてかけれず、せいぜい15キロくらいである。
体重計に足をかけるとよくわかる。
朝にははれがひくので、がんばろうという気持ちになるが、これで朝はれがひかないととても継続はできないだろう。
2003.03.11
(手術後9週間経過)
通院
もう1週間30キロの圧を続けるとのこと
レントゲン4枚を撮る。問題なしとのこと。
右足首は手前には若干曲がりが増えているが、むこうへは先週とは変わらないとのこと。

昨日かなり痛くなるまで向こう(前に)曲げをやったので、少し曲がったと思っていたのに、がっかり。
もう5週間も足首の前後運動をやっているのになかなか曲がらない。

30キロの圧はいまだかけられず、体重計で30キロまでやったのが2日しかなく、あとは歩いたが、20キロの圧が精一杯であった。

筋肉というか関節というか、硬く、痛く変わりばえしない。
先生が、早く手術してパネルをはずそうね。そうすれば動きやすくなるからと。まだ歩けないのにいつ摘出手術するんだろうと今考えている。

夜寝る前にベッドにて膝をつけ5分ほど、筋肉をつけようとここ3日前からやっている。
右のふともも、腰、お尻の筋肉がかなり落ちている。
両膝でもふとももが震え痛くなるくらいである。

足首下のはれはいくぶん以前ほどはれなくなってきているねと先生が言われる。
確かにそんな感じである。ほんと薄皮をはぐようにしかよくならないが回復にむかっているのだろう。

本人はそうはあまり感じないが、手術の傷口等はかさぶさもとれ、見た目はよくなってきている。

動かない筋肉を動かすとビリリ・・と痛く、動かすと柔らかくなり動かさないと硬直していく。
その痛さの繰りかえしのなかでよくなっていくのであろう。
言葉ではこのしつこい痛みは表現しづらい。

夜、昭島市異業種交流会の異業種交流会講演会に出席する。
膝より上はガクガク、足首はビリビリとちょっと無理したようだ。けれど、久しぶりの仲間に会えたのはうれしいかぎりである。
きさくにくったくなく、年齢を超えて話せるのは、異業種交流会の特徴だろうか。本日は勉強になった。
初めての異業種交流会講演会は成功だった。夜11時過ぎに帰宅。
2003.03.18
(手術後10週間経過)
通院
本日より全体重をかけてよし

同じ病室に入院していた○○さんと会う。右親指を切断して接合手術をした方である。
見事、第一関節はまだだが親指が曲がるようになっていた。痛いのをこらえて動かしているとのこと。指も痛ましかったがきれいになっている。
今日はレントゲンはなし。
この1週間30キロの圧も満足にかけれなかった。本日より全体重をかけますとのこと。

先週の11日にこの予定は聞いていたが、右片足に全体重をかけるようになった。
足首の前後の角度はかわらない。
車の運転はしても大丈夫ですかと聞くと、できるならしていいよとのこと。
松葉杖も使わなくてもいいよとのこと。
ただ、すぐ歩ける人はいないけれどねのこと。

サポーターは靴下の上からなのに、地肌につけていた?
たしか最初につけるとき確認したのだが。靴下の上からだと楽である。

リハビリの先生のところいく。左の松葉杖にて歩いてみてと・・・

左側に極端に体重がのり、歩けない。
ものにつかまって体重の左右・前後の移動の練習をする。

左右の動きは痛い。左右に足首をうごかしてやっていいんだ。両松葉杖にて自信をもって歩いてくださいとのこと。
片足で立ってとは言われなかった。
言われたらどうしよう・・できないだろうなと思っていた。

おお・・・右足に全体重をのせることできません。
歩きはじめて3週間だが、なんと極端なこと。
骨は大丈夫と言われても・・・

事務所にてリハビリするがやはりダメ、立ったままで右足の一歩が踏み出せない。
夜の8時半の今、いつもとおり、はれあがり、足首を動かしているが足首まわりの硬い筋肉とつっぱりは変わらない。
いつになれば、この足首は曲がるのだろうか。
このかたいつっぱりはなくなるのだろうか。

あと2週間で松葉杖なしで歩けるようになりたい。
ほとほと、もう嫌気がさしている。じれったい。
2003.03.21 片方の松葉杖にて歩く
テーブルに手をつけて、大の字に足をつけて、前後左右と体を動かす。足首のリハビリと体重移動により慣れさせる。
昨日、左の松葉杖のみにて歩けた。
今日も歩けた。右足に30.キロの圧はのっている。

1歩がなかなか踏み出せなかったが、歩けた瞬間に、ああと、涙こそでないが、涙あふれる。

これが松葉杖がなく歩けたとき、どうなるのであろう。
楽しみである。もう大丈夫、自信もってよしと心に言い聞かせる。
ビリッときても、鈍い痛みが走っても、大丈夫と言い聞かせる。
そうして不安を解消する。
リハビリも勇気と度胸なのである。ようしがんばろう。
2003.03.23
昨日、今日と1時間以上は歩いたであろうか。

片松葉杖では少しだけであったが、両松葉杖にてかなりの体重をかけて歩いた。

ビリッとくる。ズーンという痛みがくる。それでも歩いた。歩くスピードも早くなってきた。

妻が右のふとももが太くなってきたねと言われる。
確かに筋肉がついてきている。両ヒザ立ちも効果があるのだろう。

自宅の前の道路にて少し車の運転をする。できそうである。
ただ、ブレーキを踏み続けることは難儀である。
そろそろ、車の運転ができないと自由に動きができないので仕事上困る。

足首の曲がりは相変わらず変わらない。
はれは幾分少なくはなってきている。
2003.03.24 松葉杖なしでよろよろ歩く 3連休のリハビリがよかったのだろう。
本日、松葉杖なしでよろよろながら歩くことができた。

感動・・・痛みに対する恐怖が少し薄れて、右足にかなり体重をのせても大丈夫のようだったので、思い切って歩いてみた。
たぶん昨日までの感じだとできそうな気がしていたがなかなかできなかった。でも、まだビッコひいての歩きでかなりぎこちない。

夜はその反動だろうか、足首まわりがコチコチに筋肉が固まり前後運動がギシギシ、ミシミシといった感じである。

松葉杖にて歩いていて、ピシーという痛みやビーンといたしびれみた
いなものを感じるがこれはよくなっていく前兆と思ってやれるようになった。まだ恐怖感はあるが、早く歩けるようになりたいという気持ちがはやっている。
2003.03.25
(手術後11週間経過)
通院
本日、松葉杖なしで歩けず
レントゲンを撮る。
この次は2週間後になった。

横の足首の動きについて聞くと、足首の前後運動と歩けるようになってからでいいと、痛いでしょとのこと。
この次病院に来るときは歩けているようにと。

夜、車の運転をする。30分くらい走る。
アクセルがワンテンポ遅れる。ブレーキは感覚どおり。
10分ほどでアクセルになれてきた。
20分走ったところで、左くるぶしがビーンと痛む。その後時々痛む。
心配は急ブレーキのときどうなるかである。
踏めるか踏んだ後足首は大丈夫かである。
もう少し待ったほうが無難のようである。
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